聞きたかったメンタルヘルスの話 vol.14
このコラムは筆者が以前某医療コラムで連載していた修正前の記事本文です。内容は作成当時のもので、現在は異なることもありますので、ご了承下さい。あくまでアーカイブとしてご覧ください。
今まで、自分が精神疾患になった時に自分でできることを主に触れてきましたが、今回は「家族」に触れてみようと思います。
自分の家族が精神疾患になった時、あなたならどうしますか?
精神疾患というのはただでさえ目に見えにくく、理解しづらい病気です。しかし、周囲の気づきや理解が早くあれば、早期回復につながりやすいのです。ただ、家族という小さな社会は、生まれてからずっといろんなことを共有し、依存し合い、良いことも悪いことも積み重ねていています。一緒にいる時間も多く、なかなかうまくいくものではありません。「自分の家族だからこそ」信じている面もあれば、思い込んでいることもあります。家族だからこそ受け入れたくないこともあります。理解しがたいことが家族に起こると、いったい誰に相談すれば・・・と孤立しがちです。 また常に身近な存在なので変化の始まりにも気づきにくいものですし、客観的に見つめることができません。自分の価値観も押し付けがちです。そのようなことで精神疾患の発見も遅れる場合があります。だからこそ健全な知識を持っていることが大事なのです。
例えば、思春期の子供が引きこもりなどになった時、思春期ゆえの不安定さなのか、それとも心の病なのか見極めるのはとても難しいです。これは今まで言ってきたとおり、早期に医療や相談機関につながることが大事です。そんな時、家族の方は当事者に何が起きてどうしているのかすべてを話して欲しい気持ちになりがちです。しかし、「家族だからこそ」言いにくいこともありますし、思いが言葉になりづらいものもあるのです。自分も「家族だけには」言えないことがありませんか?モヤモヤしたことがありませんか?家族だけで解決しようとせず、医療機関や相談支援などを上手く使い、治療に向かってください。
この時、家族にできることは、やはり健全な精神疾患の知識を持ち、医療機関や相談支援機関とつながることです。あとはいつも通り食事を作って、いつも通り会話をすることです。そして治療につながる情報の種を蒔き、本人の治療への意欲が動くことを待つことです。とても大変なことかもしれませんが、「なんであの時、こんなことをしたのか?」「なんであの時、こうしてくれなかったんだ!」と問われても、ちゃんと説明出来ることが望ましいと思われます。
当事者を抱えた家族は孤立になりがちです。昔僕がいただいた本に『「家族」という名の孤独』というタイトルのものがありました。僕は子供の頃に家族の悲しい思い出があるので、タイトルだけでこみ上げてくるものがありました。精神疾患の家族は「家族」という名の当事者の一人です。そんな家族のために精神疾患の家族が助け合う「みんなねっと」(http://seishinhoken.jp)という団体があります。地域や病院にある家族会の連合会です。家族会は色々な情報源になり、同じような体験をした家族の助け合いの場になっておりますので、ぜひ相談してみてください。KHJ全国ひきこもり家族会(http://www.khj-h.com)という家族会もあります。
また、家族といっても自分の子だけとは限りません。親がなる場合も、パートナーがなる場合も、兄弟姉妹がなる場合があります。これは同じ家族でも関係が微妙に違います。兄弟姉妹の自助グループも東京兄弟姉妹の会(http://tokyokyoudaisimai.com)などがあります。
時折、当事者から家族が暴力を受けたという話を聞きます。もちろんその逆もあります。暴力に至るまで、それぞれの経緯があります。こういう場合は一度に解決しようとせず、それぞれが別々のカウンセリングなどの治療を行う必要があります。暴力を受けたものは「被害者」、暴力をしたものが「加害者」とみがちですが、そんな簡単な問題ではありません。暴力は病気を起因するものもありますが、それだけが100%の原因を占めるとは限りません。丁寧に双方からヒアリングする必要があります。もし、暴力でお困りなら警察を含めた第三者や医療機関、相談機関が介入する必要があります。それはお互いのためにです。
そして一緒に暮している親子などは、物理的にも離れて暮らすことも考えたほうがいいです。支援があれば、精神疾患があっても一人暮らしは可能です。家族にも当事者にも、それぞれ「疾患」が中心の人生でなく、自分の人生を歩んで欲しいのです。「疾患のせいで私の人生は台無しだ」ということは、家族にも当事者にも思ってほしくないのです。
また、自分の家族に精神疾患の患者がいることを親戚に気付かれたくないこともよく聞きます。結婚式やお葬式などに精神疾患の家族を参列させないこともあるでしょう。当事者の僕からしたら、本人が参加したいのであれば参列してもらった方がいいと思っています。親戚からは「今どうしてるの?」などいろいろ詮索されるので、顔を合わせたくなければ参列しない選択肢も必要でしょう。でも「最期の挨拶をしたかった」「結婚したなんて知らなかった」なんてことがないように、本人への確認、報告は必ずしましょう。
切っても切れない「家族」という濃密な関係です。家族が故の苦労も多々あると思いますが、それでもそれぞれの人生を謳歌してほしいのが僕の願いです。
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